Wuppertal 留学日記

2013年10月から1年間、交換留学でドイツへ行く機会に恵まれました。体験談などを書き残していきたいと思います。

77日目(12月16日 月) ドイツ語と英語とアイリッシュの度量

ドイツ語と英語とアイリッシュの度量

今日は珍しく朝スッと起きることができました。私は早起きをすると、早く起きた分の時間を家でゆっくり過ごして結局遅刻するという破滅的性格の持ち主でして、今日もその例に漏れず若干遅刻しました。しかし、ゆっくりできた時間に濃いめのコーヒーを飲んでいたこともあって、いつもよりハッキリとした意識で授業を受講できました。

今日の授業ではいつもより多く発言機会がありました。といっても、会話練習やグループワークをしていたわけではありません。
「~をした方が良いかと思います」という表現(Shouldを婉曲的に表現して丁寧にしたようなもの)が今日のトピックでした。この練習として、誰かが何か問題文にあたる文章を作って発言する → 答えを思いついた人が答える → 答えた人が次の問題文を作って発言する → 答えを思いついた人が答える→...という風なことをしたのです。

日本的には、順番に発表していくのが大正義な気がしますが、こちらではそんなことはなく、誰でも思いついた人から発言できます。ちょっとしたゲームのようなものですね。先生も最初の一人を指名してからは、間違いを修正するくらいで特に細かな口出しはしません。クラス全体で授業を共有しているような雰囲気です。

今までであればついていけずにアワアワしていて終わってしまうところでしたが、今日はコーヒーのおかげか脳内作文がスムーズにできたので、いつもより発言することができました。

発言してみて分かりましたが、何でもいいので何か言ってみた方が授業に対して集中できますし興味を持つことができます。他人事ではなくなるというか、参加意識が強まるというか、とにかく積極的に授業に入っていくことができたような気がします。
積極的な人が発言をするのかと思っていましたが、実は逆で、発言していくと積極的になるのかもしれませんね。

今日は3コマ連続授業の日でしたが、そんなこともあって苦痛に感じることはありませんでした。不思議なものです。


授業後は、ブルガリアの友人とアイルランド、アメリカの学生と一緒にカフェテリアへ行きました。カフェテリアは学食棟の上に位置しており、やや学食より値が張るのですが、注文してからその場で調理してもらえるため、出来立てのおいしい料理を味わうことができます。

私は英語はある程度話すことができる...と思っていたのですが、ネイティブイングリッシュを聞き取ることができないということが分かりました。
アイルランド人、アメリカ人の英語は早いうえになめらかでほとんど聞き取れなかったのです。特に、英語を母語としている人同士が話している時のペースは容赦なく、全く口をはさむ余地はありません。

ちなみに、インド人の英語も聞き取れません。インド英語はネイティブ速度に加えて若干の訛り?のようなものが混ざっていることもあり、時折ヒンドゥー語を話しているのではないか?と勘違いしてしまう程です。

英語を学びたいという人はこのネイティブイングリッシュを乗り越えるのが大きな課題になりそうですね。今まで欧州の学生とスムーズに英語で話すことができていたのは、彼らにとっても英語が第二外国語であって、お互いが手探りしながらゆっくり話していたからだったようです。
英語初心者は欧州に留学した方がコミュニケーションがスムーズに行えると思います。それくらいに、外国語としての英語とネイティブ英語は別物です。

話題も少し変わっていて「自己啓発的な話」と「映画の話」をしていたような気がします。それとなく聞き取った部分からの推測ですが、もっと自分を信じなきゃだめだ!みたいな話をしていました。映画に関しては欧州では教養の一つとして広く認知されているのか、色々な場面で「君はあの映画を知っているか?」というようなことを話題の一つとして尋ねられることがあります。今日はピアース・プロスナンがどうのこうのという話をしていたようですが、詳細は謎です。

すごいなぁと思ったのはアイルランド人(ア)とブルガリア人(ブ)の会話です。

ブ「今度のテストは失敗するわけにはいかないね。」
ア「何で?」
ブ「僕はもう22歳だし、失敗している時間的余裕はないんだよ。」
ア「え?何言ってるの?そんなことを言ったら彼は40を超えているじゃないの。(となりの社会人学生を指さす)」
ブ「いやいや、まぁそうだけどね。でも失敗している場合じゃないんだよ。」
ア「もし失敗しないんだとしたら、どうやってこれから学んでいくっていうの?失敗せずに学ぶことができるとでも思ってるわけ?もし君が40や50のおじさんになっても失敗はするだろうし、人生そんなもんだよ!」
ブ「なるほどなぁ。」

大体こんな感じでした。ブルガリア人は22歳男子、アイルランド人は19歳女子だったのですが、19歳とは思えない器の大きさです。一体どんな人生を歩んできたというのでしょうか。こんなことを言える人に出会ったことはありません。しかも、こんなヘビーな話題をサラッと世間話のテンションでしてしまうのです。圧倒されました。

「先輩に敬意を払うべき」という思想がもっともらしく聞こえるのは、「自分よりも長く生きている人間の方が、その分自分より多くの経験・知識を有しているに違いないから」だと思うのですが、こういう場面に出会ってしまうと年齢なんて人間を計る指標にはならないのではないか、と思ってしまいます。もちろん、年配者を敬う必要がないということではありませんよ。ですが、それと同様に年少者を侮ってもいけないわけです。年齢などは度外視して、誰を尊敬すべきかはしっかり自分の感性で吟味した方が良いのでしょうね。

そういえば、今日一緒にいたブルガリアの学生は、先日「自信を失うことはない。今は辛抱の時さ。」と私を励ましてくれた彼なのですが、アイリッシュガールはその彼を黙らせるほどの度量の持ち主であるようです。恐ろしや。

ちなみに、隣に座っていた40歳前後の社会人学生というのもアイルランドからの留学生で、同じクラスに所属しているのですが、彼も飄々とした性格の持ち主で、授業中に習った構文・表現を使っては冗談ばかりを言ってクラスを和ませてくれます。
さすがはジョークとジェントルマンの国、大ブリテンの出身者。格の違いを思い知りました。

同じようにドイツに留学して、同じように授業を受けていても、各々が各自の価値観・世界観によって全く違う世界に生きているんだろうと思います。当然のことではあるのですが、改めてそんなことを思い知らされました。参りました。