Wuppertal 留学日記

2013年10月から1年間、交換留学でドイツへ行く機会に恵まれました。体験談などを書き残していきたいと思います。

51日目(11月20日 水) 図書館籠り

図書館籠り

今日は改めて図書館で勉強する日にしました。勉強場所も目星がついていたので、スムーズに場所を確保できました。本棚の隙間に机が設置されており、最初はなんだか落ち着かなかったのですが、慣れてきたら集中できました。少なくとも部屋で勉強している時よりは遥かに良いです。

大学に入ってから学校帰りに図書館にこもって勉強する癖をつけていました。というのも、一旦家に帰ってしまうとテレビを見てボケーっとして一日を終わらせてしまうことが多かったうえに授業内容を忘れてしまうからです。図書館にこもってレポートを終わらせてしまえば、比較的集中できるうえに、帰ってから心置きなく家でゆっくりできるというわけです。

入学後2~3年はこの癖がついたおかげで割と成績も良く、また授業にも興味を持って取り組むことができました。が、3年生の半期過ぎたあたりでアルバイトを始めてしまい、これによって図書館籠り癖が崩れ始めました。
アルバイトは塾講師をしていたのですが、授業が平日の1800~2200といった時間帯であったため、絶好の図書館籠りタイムとかぶってしまったのです。

アルバイトを始めた動機は、親に強く勧められたからでした。自分は大学生活は割とうまくいっていると考えていたのですが、「もっと社会経験を積んだ方が良い」とか「家にいるだけでは引きこもりになる」という理屈でバイトは絶対しておけと言われました。
分からなくもないような理屈ですが、大学生のうちは大学生をさせておいてほしいという気持ちもありました。しかし、アルバイトも大学生の重要な学習機会というのが我らが家主の見解らしく、下手に反発するわけにもいかずアルバイト探しをしようかなと思っていた矢先、友人から塾講師に誘われて働き始めたのです。
要するに、アルバイトを始めるまでに一切自主性はなかったということです。いや、それでも結局バイトをしているのだから、心のどこかではアルバイトに興味があったのかもしれません。
特に、よくいわれている「社会経験」なるものが、一体いかなる代物なのかということには若干興味があったような気がします。

なんにせよ、そんなよく分からない経緯でバイトを始めたわけですが、一通り働いてみてわかったことは、「お金を持てば持つほど贅沢な生活をしてしまう」ということです。それまでは、自宅から通っていたこともあって1か月1万円のお小遣い制度(必要経費別)だったのですが、その際はそれでやっていけていたのです。ところが、バイトを始めてから頻繁に外食するようになったり、Amazonやらでいろいろ余計なものを買いあさったりと、比較的怠惰な方向へ生活が向いてしまったような気がします。今や月1万円ではとても生活できないと思うようになりました。

また、「社会経験」などといわれても、所詮はバイトですからそこまで強烈な責任意識を植え付けられることもありませんでした。当初は、社会の恐ろしさを叩き込まれるのかと思っていたので拍子抜けでした。怒鳴られたりするのかなと思っていましたが、温和な方たちばかりでしたし、ミスをしてしまった際も、諭すように注意してくださるというありがたさです。これも社会経験といってよいのでしょうか。もっとボコボコにされることを指しているのかと思っていました。
それ以外には他の職員と如何にうまくやっていくか、あるいは子供たちと如何に接するかというようなことが勉強になったといえばなったのですが、これに類することは大学にいても学べるような気がします。

「社会経験」とは異なるような気がしますが、働いてお金を稼いでそれを消費して...というサイクルを繰り返していれば、そこそこ楽しく日々を過ごせるうえに、あっという間に月日が過ぎ去っていくということも分かりました。きっと就職してしまったら、一瞬で月日が過ぎ去り、お金を稼いでよく分からんものを買い集め、よく分からないまま死んでいくんだろうな...という未来予測を立てることができたのはアルバイトをしたおかげかもしれません。

アルバイトにやり甲斐めいたものを感じたこともあるのですが、じゃあボランティアで塾講師をできる機会があったら参加するのかと考えたところ、自分はしないような気がしました。やりがいといえば聞こえは良いのですが、賃金のために働いているという意識を薄めるためのお慰み程度のものなのではないか。そんな気もしてしまいました。

また話が逸れましたが、何が言いたいのかというと、図書館でレポートを書いていたころの方が精神的に健康だったような気がするのです。社会に出なければ勉強できないこともあるのは間違いないと思いますが、籠っていないとわからないこと、籠っているからこそ見えることもあるのではないか、という籠りの美学のようなものをお伝えたかったのです。


そんなわけで、今後は授業後に籠りタイムを設けていこうと思います。